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zoom RSS 【ジェイムズ・ボンド映画の基礎知識】番外編「ミッション:インポッシブル」シリーズの20年

<<   作成日時 : 2015/12/14 12:34   >>

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1960年代にはボンド映画に追随するスパイ映画が(日本も含め)数多く作られたが、結局、長続きしたものはなかった。そんななか、テレビシリーズとして独自の人気を博したのが「スパイ大作戦」で、70年代の初頭までつづいた。このドラマはとにかくフォーマットが面白く、高校生時代に最初に出会った私は80年代の後半頃にフジテレビで深夜に再放送されていたのを必死に録画していた。

それから10年ほど経って、トム・クルーズ主演で映画化されることになり、それこそ日本の街中にテーマ曲が流れる日が来ようとは夢にも思っていなかった。その後、紆余曲折はありながらも、トム・クルーズ自身がプロデュースしていることもあり、スパイ映画という括りではジェームズ・ボンド映画の最大のフォロワーになっていると言える。

以下は、その約20年の振り返り。あらためて全部観直したわけではないので、怪しげな記憶頼みで書いていきます。

第1作『ミッション:インポッシブル』(1996年)
大いに期待したものの、テレビシリーズのファンであればあるほど困惑した第1作。おそらく世界中でいちばん困惑したのが、テレビシリーズで主演したピーター・グレーブスだったはずである。ネタバレ覚悟で書くが、テレビシリーズの主人公ともいえるフェルプスが敵に回り、しかも死んでしまうからである。

単発の映画として考えれば、これほど観客の予想を裏切る展開はないわけだが、個人的には『スター・トレック』のカーク船長級のキャラクターだったので、悪い意味での「やられた」感があった。監督はその10年前にやはりテレビシリーズを映画化した『アンタッチャブル』でショーン・コネリーにアカデミー賞をもたらしたブライアン・デ・パルマ。ただし、ここでは「職人」に徹した感じがある。そして、何より嫌だったのが「インポッシブル」に「ッ」が入っていることだった。

第2作『M:I−2』(2000年)
当時ハリウッドを席巻していたジョン・ウーを監督に迎えたのは悪くない選択だったが、テレビシリーズの頃の「インポッシブル」が、主に「物理的不可能性」(なのでミステリーにも通じる)だったのに対して、完全にトム・クルーズが体を張るアクションの「肉体的不可能性」にシフトしてしまったことが個人的には残念だった。「頭」で見るより、「体」で感じる映画になってしまったのだ。まあ、アクション映画とはそういうものなんだが。ちなみに敵役を演じたダグレイ・スコットは6代目のボンド候補に挙がっていたと思う。

第3作『M:i:V』(2006年)
泣く子も黙るJ・J・エイブラムズを監督に起用したのは、ひとえに彼が『エイリアス』というテレビスパイシリーズを手がけていたからにほかならない。この人は私とは3日違いの生まれだが、本家テレビシリーズには(同じくリメイクを手掛けた『宇宙大作戦』同様に)何の興味もなかったらしく、シリーズ最低の出来だったことは間違いない。

おまけにケイティ・ホームズと再婚したトム・クルーズのハッピー・オーラが全開で、話はシリアスだし、敵は後のアカデミー俳優フィリップ・シーモア・ホフマンなのに、トム演じるイーサン・ハントがすでに現役を引退して結婚まで控えているという設定ゆえに、完全に違う雰囲気の映画になってしまっていた。今でいう「3Dプリンター」みたいな機械で変装用のマスクを作るシーンが目新しかったぐらい。

タイトルもなんで『M:I−3』じゃないのか、と首を傾げた。正直なところこれでシリーズは終わりだと思った。ボンド映画でいえば『女王陛下の007』がハッピーエンドで終わってしまったようなものだからだ。

第4作『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(2011年)
ところがシリーズは終わらなかった。監督はピクサー作品を手掛け、よもや実写を監督するとは思わなかったブラッド・バード。タイトルからもナンバリングが外れた。予告編を観たかぎりでは、第1作のリメイクなのではと思わせる感じだったが、実際に作品を観ると、なるほどこれは『スパイ大作戦』だな、と初めてこのシリーズで溜飲を下げることができた。

具体的にはクレムリンへの潜入やドバイの高層ビル、ブルジュ・ハリファにおける(アクションシーンではなくて)ホテルの二つの階を使った取引のシーンなどが見事に原作へのオマージュになっている。また前作でイーサン・ハントが結婚したという設定が話の足かせになるどころか、新たなチームをまとめる重要な要素として使われている点にはまったく頭が下がった。

さらにジェレミー・レナー演じる分析官ブラントというエージェントが加入したことで、イーサン・ハント率いるチームは完成し、第1作でリーダー・フェルプスを葬り去った彼が、とうとうリーダーになる。あくまで結果論ではあるが、前3作の不満要素がすべて「伏線」だったかのようにここで回収されたわけである。

第5作『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』(2015年)
というわけで最新作。J・J・エイブラムズがプロデュースに残っているせいか、作品の連続性が保たれているのは非常に素晴らしい。しかも前作のラストで何気なく使われていた「シンジケート」というのが今回の敵としてきちんと使われている。ただし、世評がいい割に、私の第一印象は前作ほどにはよくなかった。(まだ1回しか観ていないけど)

第3作から第4作に引き継がれた課題がイーサン・ハントの結婚の処理だったのに対し、今回は前作であっけなく死んでしまった「IMF長官」の後釜に相応しい人物を見つけることだったようで、新たにアレック・ボールドウィンを登場した。ところが、シリーズの宿命でもある「イーサン・ハントは現場で体を張る」というルールにより、ジェレミー・レナー演じる分析官ブラントとの役割分担が完全に逆になってしまったため、この課題はほとんど話の表面に出てこなくなる。

一方で「シンジケート」のボスであるレーンという男も、頭が切れそうな割に何をしたい人物かわからない。わざわざイーサン・ハントを利用しなくても、彼なら十分に目的は達したような気がする。前作の敵の目的がエキセントリックなぐらいにはっきりしていたのに対し、今回は第3作同様、何を阻止すれば敵の野望を潰したことになるのかはっきりしない。

強いていうならヒロインがチームのなかにはおらず、「峰不二子」的に最後までイーサンを振りまわす役割を振られているのが面白かった。どうやらこのヒロインは次回作でも再登場するらしいので、うまく発展させていってほしい。

このシリーズの最大のライバルは、実はボンド映画ではなく、『ワイルド・スピード』なのである。『ワイルド・スピード』シリーズは作品を重ねるごとに、どんどん登場人物が増えていき、話の「文脈」が増えていった。残念ながら主役の一人が亡くなってしまったが、体を張れる人物も複数登場する。もちろん作品の方向性はかなり違うので、一概に比較はできないが、日本での人気はともかく世界的な市場で考えると「お株」は奪われている。

ボンド映画にしてもそうだ。前作『スカイフォール』で誕生した新MI6チームを最新作でも完全に踏襲している。マーベルアメコミ映画を例に挙げるまでもなく、今やシリーズ作品に内在する「文脈」をどこまで活用するかが、作品の成否を握っている時代なのだ。

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